令和6年花火入門
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ロンチウム、アルミニウムなどが輸入され、これらの新しい薬剤により、それま では炭火色(橙 せるようになりました。 この時代に活躍したのが三河出身の平山甚太で、彼の発明した昼の花火が明治 16年(1883年)に日本人として初の米国における特許第一号を取得しました。 大正・昭和に入っても、明治に引き続き新しい薬剤が導入され、花火技術は飛 躍的な進歩を続け、花火師においても長野の青木儀作、滋賀の廣岡幸太郎などの 名人が登場し、数々の名作花火をつくり出しました。 太平洋戦争中は花火の製造も中止され、戦後はポツダム政令により一切の火薬 製造が禁止されていましたが、昭和23年のGHQによる花火製造の解禁以後、徐々 に復活していきます。 今日では、長年における技術開発の努力もあり、日本の花火は世界で最も精巧 で華麗なものとして世界中から絶賛されています。 現在日本の花火は、日本独特の割物 花火)の様式美を基本に、より高度の域まで高めるとともに、発光が時間差で変 化するなど、独創的なパターンの花火を考案する方向に向かっています。 夏期シーズンはもとより、全国各地でさまざまな花火大会が開催されています が、最近ではコンピューター制御による、花火と音楽をシンクロさせた演出方法 も全国的に用いられ年々進化しています。 近年、化学的知識を学んだ若い花火師も育ってきており、彼らの斬新な考え方 と「温故知新」の精神をもって、さらなる日本の花火の発展が期待されています。 芯 火の製造や販売業者が特に集中し、日本全国の流通起点となっています。 明治時代に入ると、海外からマッチの原料である塩素酸カリウムをはじめスト花火は、光(色)、音、煙、それに形状の4つの要素で構成されています。これらの要素は火薬類の配合・組み合わせや形状によって、さまざまに変化させることができます。 燃える温度が高いほど光は明るくなり、配合剤の組み合わせを変え色彩を変化させます。 だいだい色)の強弱の表現が主であった花火が、明るく豊かな色彩を出「多重きっかがたわりものたじゅうしん」(芯が複数入った菊花型の菊花型7 2.花火の性質

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